放課後や休みの日に、学校の校庭や図書室やプールを遊び場として地域に開放することは学校が身近な存在になり、同時に子供たちに安全な遊び場を提供するという意味で、意義のある試みになることでしょう。しかし、それだけではありません。PTAの活動が学内だけに目を向けられているのでは物足りません。様々な学校行事を行う際に、地域住民を巻き込んだものにしてみることも、学校と地域のつながりを深めることになるでしょう。
例えば、毎年行われている運動会に、地域の未就学児とその父兄も参加できる競技を盛り込むなどすれば、学校が気軽に訪れられる場になり、地域の交流の場としての役割も担っていくことが期待できます。
また、近年の核家族化の中では、年中行事を家庭で行うことも少なくなっている傾向にあります。教育には「文化の継承」という大切な要素もあります。家庭が文化継承の場としての機能を果たさなくなってきている現代、学校と地域社会が協力しあって、その地方独自の行事や慣習を子供たちに体験させていくことで、真に「地域に根ざした学校」となっていくことでしょう。
地域に開かれた学校
地域による子育て支援
義務教育に入る前から、地域の機関による教育支援や子育て支援は始まっています。近年では、地域の子育て支援センターが充実してきています。家に篭りがちな母子が気軽に出かけられ、教育・子育て相談も受けられる機関として、今後ますます期待される教育機関になることでしょう。ただ、残念なことに、子育て支援センターのような存在を知らない母親もいるようです。産院や小児科医などを通じて、地域の子育て支援機関の情報を広める努力を行政は更にするべきでしょう。
また、子供が安心して遊べる施設がないという声もよく聞かれます。子供の健全な成長には他の子供たちと接し、楽しく遊ぶ環境が欠かせません。小・中学校などを週末の遊び場として開放するようなことも必要な地域がたくさんあります。
小・中学校の校長を始めとする教員は多忙な身であることが多く、週末の遊び場としての学校開放まで業務に加えることは不可能でしょう。教育委員会などの行政が率先して責任を負い、公的な教育機関を地域社会に開放していくように努力していってもらいたいものです。
孤立する母親たち
現代の日本では個人主義が浸透してきています。個人主義は決して悪いことではありません。自立した個人を生み出すという点では素晴らしいものでしょう。しかし、個人主義の浸透は同時に、「孤立しがちな個人」も生み出してきました。中でも、子育て期の母親は孤立しがちな存在です。核家族化が進み、かつては同居する祖父母などを通じて自然に地域に溶け込めていた新米の母親やその子供たちが地域社会に接する機会がないまま孤立した状態で育っていくことが増えています。
孤立した母子は母と子という限られた濃厚な関係の中に閉じこもり、様々な弊害を生み出しつつあります。例えば、近年の幼児虐待の増加が挙げられます。
地域社会の中で年配者たちが自然に若い母親を導いていた時代と違い、「子供をどう教育したらいいか分からない」と訴える精神的に不安定な母親は珍しくなくなってきました。子供が学校に行くようになっても、地域とのつながりは希薄なままであることが多々あります。助けを求める親、特に孤独な母親に手を差し伸べる地域の教育システムが今求められているでしょう。
地域の教育
近年、「地域社会の教育力向上を」といわれることが多くなってきました。核家族化が進み、孤立しがちな親の元で育つ子供たち。家庭だけではなく、学級崩壊や教員の鬱など、学校自体も様々な課題を抱えるようになってきています。
一昔前の日本は村単位の横のつながりが生きていた社会でした。人と人のつながりが濃厚な社会で育っていた昔の子供たちは家族だけでなく、地域に育てられていたようなものでした。親も子も孤立することなく、学校は地域の目に見守られていた社会。今、そんな地域社会と教育の関係が再評価されるべき時に来ているのかもしれません。
「地域社会の教育力」、あるいは「地域と連携した学校作り」などといっても具体的に何を目指したらいいのでしょうか。ここでは、地域と学校の関わり方、地域と学校システムの連携の可能性などを色々な方面から見てみたいと思います。また、地域の中の学校を考える上で、それぞれの地域色を無視することはできません。その地域の生活環境や保護者の事情を反映し、教育や学校に違いが見られるのも現代の特徴ですので、地域間の違いにも触れてみたいと思います。